浦安から「お盆休み」についての投稿がありましたね。やっぱり東日本と西日本の違いですか?ここ大阪では16日という日が「送り盆」と言って家族全員で天国に戻って行かれるご先祖様をお見送りする日となっています。京都の大文字焼きの送り火が有名ですよね。
お盆休みを「夏季休暇」と捉えている東日本と「宗教的行事」と捉えている西日本。 狭い日本でも感覚の違いがあるものですね。
私たちメタル便関西は16日から始動再開しました。送り盆に仕事をすることとなったこと 社員にはお詫びの言葉を送りました。
メタル便関西 よしだ
連日の猛暑は半端ではない。熱帯夜で睡眠も不足気味。汗をかいた分だけ咽が渇く。午前中だけで1~2Lの飲料水を飲み、午後になると水分補給も惰性になり、だるくなってくる。いつまで続くのか、この暑さ。
今週中は荷動きもパラパラといった感じ、平常に戻るのは来週月曜日からのようだ。鐵鋼団地内でも届先のない専属車が列をなしている。
岸川の配慮で、冷凍室に冷やしたタオル。帰社した運転手に手渡す。氷ついたタオルを、オデコや頬にあて、ホットする瞬間。
カジ
盆休みで困るのは、ゴールデンウイークや正月休みと異なり、各企業の休日の足並みが揃わないこと。毎年15日前後なのだが、土日の入り方によって毎年は異なる。
物流業界=クロコ、お客様の荷動きに合わせるが鉄則だが、それがお盆はバラバラなので収拾がつかない。今年はスタッフから13~15日の3日間盆休みにしましょうとの申し入れがあったが断った。稼働日が左右する業界では運送会社の盆休みは2日間まで(従来通り)との独断で、15日は出勤日とした。盆休みを営業日3日休みと一度取決めるとそれが恒例化し、お客様の都合より会社の取り決めを優先しがちなので。
でも実際、今日は電話はならず仕事も無く、洗車やオイル交換や構内整備などで一日終わった。
メタル便がここ千鳥に移転した時には数軒の倉庫しかなかったのに・・・
今では国内大手は勿論、外資系の巨大倉庫が立ち並び、路線バスまで走っております。
数年で陸の孤島から町へと変貌をとげております。
新鋼流会の集まりでは以前から「町が出来てから電車を走らすか、電車を走らせてから町ができるか」と言う話がありました。
メタル便では不思議と現在は力不足ながらエリア外としている地区のお問い合わせが集中する時があります。
そんな時にもしもこの地区に電車(運行便)を走らせることが出来たら、町(確立した配送エリア)が出来るかもしれないと思います。
思うのですが・・・
これからもエリア拡大に頑張りま~す!
運送業界の取り巻く環境は厳しい。
統計によると運転手の平均年齢は42歳。ドライバー不足は恒常化しており、今後より難しくなることは間違いない。石油の値上がりも半端ではなく、数年前のレギュラーガソリンが軽油の価格になっている。最近の異常気象、特に地球温暖化は深刻で物流関係への風当たりは強い。
これらの問題解決にあたり、物流会社一社ごとの企業努力では限界がある。これらの現象は、「トラックを走らせない方法は無いですか」と問題提起されている様に感じる。
鉄鋼の共同配送を目的に掲げ我々は2000年に鋼材の小口を上手に運ぶ会社としてサービスを開始した。7年経過してメタル便が本来すべきことがまだまだあるのではないかと痛切に思うこの頃だ。
小学校の教諭となった乙武洋匡さんは今日のブログに「学校の先生は、めちゃくちゃ忙しい。児童が帰ってからが特に忙しい。」と書いてある。
「校務分掌」という言葉がある。学校内における運営上必要な業務の先生による分担である。
・委員会やクラブ活動の運営
・入学式や卒業式等の式典準備
・子供達の生活指導
・避難訓練の計画・実施
・図書館の運営等
・情報システム
・施設管理 etc
先生が分担し作業をするが、児童数が少なくても分担する仕事は減らないので、少子化は先生の授業以外の時間を圧迫していく。
こんな事が今の学校では起こっている。
人口減少の始まっている日本では「小さくなる能力」が必要とされ、経済活動もこれに近い現象が起きつつあるのかもしれない。小学校の統廃合は、ここ数年の企業合併に等しい。でも合併できる所は良いが、合併できないところはどうすれば良いのか?
そんな解決策の一つに、「物流はメタル便に、ご相談下さい」と胸をはって言えるメタル便になりたいものだ。 カジ
メタル便グループ各位
7月1日~31日の25回のアップされました日記を厳正に審査しました結果月間MVPは・・・・
第1位 7/3「大入袋」吉田氏(大阪)
写真下
月間MVPの吉田氏。「受賞理由は、大入袋をもらった女性陣の笑顔かもしれません。」
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(受賞理由)
大栄さん、目標達成おめでとうございます。
ほのぼのとした職場の雰囲気が写真と供に伝わってきました。また貰えると良いですね!
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第2位 7/10「赤コーン」木村氏(大阪)
具体的事例がひと目で分り安全に役立つと思いました。
皆様怪我には充分ご注意下さい。
第3位 7/20「鉄はお友達」伊地知氏(大阪)
澤吉さんの笑顔がとても新鮮でした。
免許取得おめでとうございます。
第4位 投稿8回、梶氏(浦安)
投稿意欲がずば抜けています。
judge by 松木(写真上)
8月からメタル便東海の社長が渡辺氏から吉田氏に交代した。今週の土曜日には、関係スタッフ30名近くが集まり、新社長から第6期経営計画が発表される。
最初の約2年が私がおこない渡辺社長に引き継いだ時、自分の無力さを実感した。創業スタッフとして古賀君を浦安から名古屋に送込み任せきりにした自分と異なり、渡辺社長は精力的にメタル便東海に情熱を注がれ現場で語りあい、お客様を回った。役員会も緊張感のあるものになった。メタル便東海の自社社員化が配送が品質向上になるとの判断から、アトランスの強力な後押しで正社員化に切り替えていった。メタル便東海への功績は大きい。
傍目八目(おかめはちもく)という言葉がある。囲碁で第三者が局外から見ると、打っている人より八目も先を見越すという意味。局外から観察する者の方が、当事者よりものごとの真相や利害得失をはっきり見分けられるということ。メタル便東海は傍目八目のメリットが一番生かされている組織だと思う。
4人がバトンを引き継ぐ400mリレーなのか、10人がタスキをつなぐ箱根駅伝なのか。2走が姿を見せるのを待構え、引き継ぎと同時に猛ダッシュする吉田新社長の姿に頼もしさを感じる。 カジ
このたび私は、メタル便東海社長を退任することになりました。
一昨年8月の就任以来、経営基盤の安定と確実な成長をめざし努力して参りました結果、一定の成果を出すことが出来ました。
これも日頃から多大なご支援を頂いております荷主様、仕入先様、パートナー各社様と業務を支えてくれた従業員の皆さんのおかげとあらためて心から御礼申し上げます。
新社長には大栄の吉田が就任します。
経営環境は厳しさを増すばかりですが吉田新社長のリーダーシップのもと、さらなる成長発展を願っています。
お世話になりました皆様、ありがとうございました。
メタル便東海を今後ともよろしくお願い申し上げます。
渡辺次彦
中2の息子が夏の自由研究で浦安中央図書館いくので付いていく。資料室の浦安に関する図書の中、本州製紙事件関連の多くの資料が目にとまる。
【本州製紙事件の要約】
・昭和33年に本州製紙江戸川工場の悪水放流により被害を受けた浦安の漁民が同工場に乱入して起きた大乱闘事件。
・工場排水は黒く濁り、浦安沿岸から葛西沖にかけて海水が変色させ、魚介類の大量死滅が起きた。
・浦安の漁民たちの漁業の先行きに対する不安はその後も強まり、37年に漁民たちは漁業権を一部放棄が決定。昭和40年から第1期の埋立土が始まる。
・46年には漁業権の全面放棄をうけ翌47年から第2期海面埋立が始まり、55年に完了。
・これにより浦安は4.43平方kmから4倍近い16.98平方kmに広がる。
「なぜ鉄鋼団地が浦安に出来きたの」
なぜを調べていくことは楽しい。でも、浦安は職場であり、住んでいる街。知識ではなく、家計図をたどるように意味深いものがある。浦安鉄鋼団地誕生のキーはどうも、本州製紙事件(自由研究①に記載)と昭和30年代後半の車種別交通規制のようだ。
【車種別交通規制の要約】
・昭和30年代の急速なモータリゼーションは、大都市及びその周辺では深刻な交通渋滞を生ずるようになった。
・昭和37~38年(39年の東京オリンピックへの整備として)にかけ東京都公安委員会は車種別交通規制を実施し、東京都への大型車の進入を厳しく規制するようになった。
大型車の輸送が恒常化している東京都所在の鉄鋼関連の企業にとってはこの規制は死活問題であり、その対策として東鉄連を中心に大規模な移転用地を近郊に探し求めるに至った。
メタル便日記の月間MVP制度の採用により日記の投稿意欲が高まってきた。6月MVPの一瀬氏の受賞に、自分の無力を悔やむ。7月も既に数本光るものがあり、ライバル意識が沸く。
私が投稿できる権利は木曜日と事前に決められている。3日以内に投稿しないとその権利は失い、他の人の投稿が自由となる。MPV獲得の第一歩はまず打席に立つこと。その為にはまず自分のコメントを入れ日記の場所を確保しておく。内容の訂正は後日すれば良い。こんなことに子供のように夢中になるのもメタル便らしいかも。 カジ