秋口になって車の手配がヒッパクしてきた。一人の配車係が一台の車の手配の為に、一日中30件や40件と電話をかけ探し続けることも稀ではなくなってきた。メタル便浦安では、積合せ(混載)の福島に宮城に定期的に走らせているが、その他の東北エリアの積み合せで長尺物(長い物)や重量物となると、現状ではかなり難しくなっている。
例で言うと、15日積みで手配して欲しいと言われて、15日積みの車がどうしてもなく代替案で16日を提案する。お客様は指定日の15日にコダワリ継続して探して欲しいと要望される。時間の経過と共にお客様が諦めて16日でも良いと言われた時には16日積みのトラックは無くなっている。こんなことの繰り返しである。価格も同様で、東北方面に対しては現在は時価に近い。運賃にこだわると、時間の経過と共にとんでもなく高い運賃になる時もある。この時期「即決」が重要になる。加えて問題なのはお客様自体が本業が手につかず、車の手配だけで多くの時間を費やすことである。
8月以降配送件数が増えて、ドライバーへの負担が大きくなってきている。
研修会で無駄をテーマに話し合う中、このところ増加している積み忘れが問題となった。配車係の新田君が解決策として「自分がチェックするしかない」と言ってくれた。翌週から彼の行動が変わった。メタル便の約7割が宵積みで残りは翌朝積み込む。夜の積み込みが終わり運転手が帰った後、新田君が現場に出て、朝積み込みの伝票と置場に残された商品を一品一品チェックしてくれる。この方法は合理的で、伝票にない商品が有れば、トラック出発前に積み忘れが発見できる。
私なら運転手の責任として積み忘れしないよう注意して解決策とするが、これ以上ドライバーには負担はかけらないとして、自分自身が動いてくれた。ドライバーに対して責めるのではなく、責任感とは何たるかを背中で見せてくれている。これなら仲間がついてくる。
10月7日(大安)メタル便関西に新車4トン車が納車されました。
受注量が急増している中、なんとかお客様のご期待にお応えするため今回増車を決定させました。
車体に掲げるメタル便グループの拠点ラインナップに新拠点「苫小牧」が登場!
自分たちのサービスが拡がっていることを実感できた瞬間でした。
(関西 吉田)
年に2回実施する環境整備。
朝7時~午後1時までの6時間、全員が参加して普段手の届かない部分を徹底的に綺麗にする。今回の重点箇所は、植栽の伐採、柱の塗装、手すりの錆落とし。こんな共同作業もチームワーク作りには貴重な時間だ。
高所作業には安全帯も着用。
秋は連休が多いこともあり、週末前に貨物量が集中する。
メタル便各拠点も木曜日の集荷~金曜日の配達がパニック傾向にあります。
ただ、そういった特別な要因を除いても荷物の量が増えているのは間違いない。
大手路線会社もプラットホームに荷物が溢れかえり二日連続で発送店に荷物が残るケースが続出していると聞く。
今日もメタル便関西の車両が荷物を山積みにして帰って来ました。
(関西 吉田)
北海道、浦安、名古屋、大阪 各拠点のリーダー陣が一堂に会するミーティングが休日返上で大阪にて開催。
議題の中心は北海道エリアでの展開
「北海道エリアでのお客様のニーズに、いかにお応えしていくか」をメタル便北海道の社長 吉谷隆昭を中心に議論致しました。
メタル便北海道がスタートしてまだ二か月ほどですが、かなり多くのお客様から様々なご相談が寄せられています。
我々への期待は予想以上に大きい! 休日もゆっくり休んではいられません。 (メタル便関西 吉田)
この数週間で大手の路線会社2社から、長尺モノ(長い物)・異形状の商品の混載(積み合せ)の関するお問い合わせをいただく。インターネットで混載をできる会社を探して、当社にたどりつかれたようだ。プロ中のプロから相談を受けると、なんだか嬉しい。全国に自車輌のネットワークをもっていても、実際混載で長尺や重量物を運ぶのは難しくなってきている状況が理解できる。
2年前のモノだが、いまだに事務所に掲示してある。
いまだに一部守られていない項目があるからだ。
ついついやってしまうのが、「さん」をつけない社名の呼び捨て。
浦安市は国庫から東日本大震災の復旧予算がついて、市のいたるところで道路の復旧工事が進められている。利用する車を止めることが出来ないので、1本の道路でも2回~3回に分け工事を進めている。新たに道路や歩道を作るよりはるかに手間がかかる。浦安市の道路工事は今年4月頃からスタートして12月頃まで続く。総予算は550億円の規模に上る。平時の浦安市の公共工事が年間17億円なのでその規模の大きさは相当なもの。工事中は市内至るところで渋滞で、路線バスも歩いた方がはるかに早い位だ。
当社も震災で倉庫の入り口が隆起しアスファルトを切断して土がむき出しになっていた部分を、この週末の3連休を使って工事することになった。震災の傷跡が少しづつ直されていく。