中2の息子が夏の自由研究で浦安中央図書館いくので付いていく。資料室の浦安に関する図書の中、本州製紙事件関連の多くの資料が目にとまる。
【本州製紙事件の要約】
・昭和33年に本州製紙江戸川工場の悪水放流により被害を受けた浦安の漁民が同工場に乱入して起きた大乱闘事件。
・工場排水は黒く濁り、浦安沿岸から葛西沖にかけて海水が変色させ、魚介類の大量死滅が起きた。
・浦安の漁民たちの漁業の先行きに対する不安はその後も強まり、37年に漁民たちは漁業権を一部放棄が決定。昭和40年から第1期の埋立土が始まる。
・46年には漁業権の全面放棄をうけ翌47年から第2期海面埋立が始まり、55年に完了。
・これにより浦安は4.43平方kmから4倍近い16.98平方kmに広がる。
「なぜ鉄鋼団地が浦安に出来きたの」
なぜを調べていくことは楽しい。でも、浦安は職場であり、住んでいる街。知識ではなく、家計図をたどるように意味深いものがある。浦安鉄鋼団地誕生のキーはどうも、本州製紙事件(自由研究①に記載)と昭和30年代後半の車種別交通規制のようだ。
【車種別交通規制の要約】
・昭和30年代の急速なモータリゼーションは、大都市及びその周辺では深刻な交通渋滞を生ずるようになった。
・昭和37~38年(39年の東京オリンピックへの整備として)にかけ東京都公安委員会は車種別交通規制を実施し、東京都への大型車の進入を厳しく規制するようになった。
大型車の輸送が恒常化している東京都所在の鉄鋼関連の企業にとってはこの規制は死活問題であり、その対策として東鉄連を中心に大規模な移転用地を近郊に探し求めるに至った。